古代中国・唐時代の「両税法」の説明

世界史Bの各教科書(2015年版)で、古代中国:唐、での「両税法」の説明がどのように扱われているかを知る機会があった。

・東京書籍「新選世界史B」p64:唐は、財政を再建するためのため租庸調制をやめて、年に2回、おもに土地や財産に応じて税を課す両税法をはじめた

・山川出版「新世界史B」p99:唐は財政難を解決するため、780年、租調庸制にかわって両税法を採用し、現実に所有している土地に応じて夏・秋2回の税を課すことにした

・山川出版「高校世界史B」p61:唐は財政再建のため780年に両税法を採用し、実際に所有している土地に応じて夏・秋2回の税を課した

帝国書院「新詳世界史B」p64:宰相楊炎により導入され、夏・秋の2回徴税するので両税という。夏は小麦、秋は稲の収穫をおもな課税対象

・東京書籍「世界史B」p93:各戸ごとにその土地や資産の多少に応じて、夏(麦)と秋(アワ・米)の二つの収穫期に徴税する税法

実教出版「世界史B」p97:作付作物の収穫期にあわせて、夏か秋かに徴収するので両税とよばれた。同一の土地から二度徴収するのではない。また銭納を原則とした

下段になる方がより正確な説明になっていると思う。

学校で習った時は、「租庸調」だったが、最近は「租調庸」とも呼ばれるらしい。

アマゾン川とオリノコ川は繋がっている

南米に存在するそれぞれは、何れも大河川で、
アマゾン川:ブラジル北東に河口
オリノコ川:ヴェネズエラ北東に河口
を持つ。
一見、確固たる分水嶺が存在する別個の流水のようだが、実は源流:パリマ山脈からの源流が、
・カシキアレ川→ネグロ川→アマゾン川
・(直接)オリノコ川
へと分流している地点がある。

これは、フンボルトが調査して欧州に紹介した、なかなか面白い地理事象。
では、各地図帳での取り扱いを見よう。

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・二宮書店・高等地図帳、p50:カシキアレ川有り

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・二宮書店・現代地図帳、p78:カシキアレ川有り

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・東京書籍・新高等地図、p67:カシキアレ川記載無し、分流矢印有り

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帝国書院・標準高等地図、p57:カシキアレ川記載無し、分流矢印無し

地図には定評ある帝国書院が一番情報が薄かった。二宮書店は、詳しい。

地図帳に見る小笠原諸島の表記

高校用地図帳(2015年)比較するために、太平洋の小笠原諸島付近を見た。
左から
・二宮書店・高等地図帳、p81:銭洲、藺灘波島、ベヨネース列岩、須美寿島孀婦岩・・・有り
・二宮書店・現代地図帳、p89:ベヨネース列岩、須美寿島孀婦岩・・・有り
・東京書籍・新高等地図、p100・・・上記無し
帝国書院・標準高等地図、p68・・・上記無し

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マニア的には漏れなく表記して下さった方が有難い。

(どの地図にも未掲載の)福徳岡ノ場は、なかなか島として存在できない。海底火山による噴火の岩石成分が陸地形成に適さないのか?