昔の話

就職試験口頭試問

今の就活は、買い手市場である。 小生の頃は、売り手市場であった。 掲示板に募集企業のカードが貼り出され、学生が各自自由に選択していたようだ。 某企業に応募し、大阪門真市(どこか分かるね)まで試験を受けに行ったあげく落ち、次に応募したのが、大阪…

ラジオ系の雑誌

今は、無い雑誌。40年ほど前の当時、技術系少年が読んでいた本。 ラジオの製作:略称「ラ製」電波新聞社刊 初歩のラジオ:略称「初ラ」性分同信仰者間←間違い。誠文堂新光社刊 同社の「子供の科学」は、親が毎月買ってくれていた。 「ラ製」「初ラ」は、本…

難儀した話

Windows95出始めの頃、あるものの管理をする必要に迫られた。 その数、約10万。 最初は、2千から増えて、最終的にその数字になる。 Excelの最大行は、65536。とても太刀打ちできる数字ではない。 で、(某社から出向の)上司の指示は、『リストで管理しろ。…

神戸に住まう

春である。 春といえば、桜である。 桜といえば、小説「細雪」の平安神宮のしだれ桜、の描写である。 独身時代、神戸市東灘区に住んでいた。 ある日、東灘文化センター図書館で何気なく「細雪」を借りた。 うっすら、このあたりのことを題材にした小説、かな…

アマチュア無線免許

ハムで「あった」ことは、既に記した。 「あった」というのは、局免許を(ついに)流したからだ。 ハムには、無線従事者免許証(従免)と無線局免許証(局免)が必要である。 従免は、一度取得すれば、一生有効(書き換え無し)だが、 局免は、5年ごとに更…

ギリガリゴリ・バオーン

いわゆる屋号をどう命名するかで、イメージがかなり決定されるところがある。 あまりに一般名詞的だと、埋没してしまう。 日本○○というのはよくあるパターンだ。 あまり、工夫されたところはないが、業界を代表する企業なら肯首できるところがある。 そうで…

業界紙に記事投稿

をしたことが1回ある。 ヨーロッパから、DECT(Digital Europian Codeless Telephone)を引っ提げて、某社がプレゼンをした記事を、テレ・コミュニケーション業界紙向けに書いた。 1991年頃、麹町の弘済会館で業界関係者向けに開催されたレポート、だった。 …

行列への割り込み

といっても、大阪万博だ。 学生時代だった。 高槻の親類(イクさんち)に転がり込んで、夏休みを利用し、1週間ほど通った。 ある日、月の石を見るんだ、と決めた。 アメリカ館の目玉で、行列が出来数時間待ちになるので、朝1番で走り込んで見よう。と決め…

藤岡の赤間屋

学生時代(昭和40年代)岡山から東京秋葉原まで出かけるのは大変だった。 東京〜大阪間は新幹線が完成していたが、東京の宿がなかった。 が、姉の(当時)フィアンセ(今旦那さん)が宿舎にしていた場所に転がり込めることになった。 そこが、「あかまや」であ…

マルホン

国鉄には、「マルホン」という超特急出世コースがあった。 本社採用者のことで、職員名簿内に、「本」に丸印がつけられていたことから、 この呼び名がついたと言われている。 マルホンは、20歳台で助役(管理職)登用されるので、年上の部下ができることに…

幼少時の記憶

思わず口をついて出る言葉がある。 ドアを開けるときに、「セカマカリキチョコ」と口の中で言っている、ことがある。 昔、若井はんじ・けんじの漫才で、ドアを開けるときの擬音語として、はんじさんが言っていた(と小生は覚えている) ドアを閉めるときの擬…

お召し列車

旧国鉄に勤務していた友人から聞いた話。 電車に乗車の場合、事前に計画が担当庁から通知が来ると当日までの準備が大変だったそうな。 乗車区間の線路が立体交差していて下の区間を通過する場合、「絶対に」同じタイミングで上側線路に何も走らせてはいけな…

リバースエンジニアリング

以前、その友人が外資系メーカに勤めていた頃、IDOから「ミニモ」という(当時の超小型)携帯電話機が発売された。古手川祐子が『手にも目にもミニモ』というコピーで宣伝していた型番。 当時としては、画期的な小型タイプで、本国にその電話機を参考のため手…

おんぶの思い出

母親におんぶされて散歩に出たときのことか。 まだ歩けなかったんだろう。 暖かかった背中。 安心の背中。 大きかったと覚えている。 すっかり小さくなってしまって。 今は、田舎で、なんとか生きている。