ゴルフ・ディーゼル。色は、赤。
でも中身はボロボロ、真っ赤赤。
1980年の夏、ボンネット塗装がヨレヨレになって、クレームで塗装し直しをしてもらった、が元のあのスカッしとした色は帰って来なかった。
1981年、運転席側の三角窓が落ちた。元はガラスとヒンジが接着だった。この接着部が剥がれて落ちた。クレームで交換してもらった。交換品はガラスに穴が穿たれていた。
1982年、エンジン排気部と後部マフラーとの接続部分が(振動で)壊れた。そうでなくとも五月蠅いディーゼルエンジン音が、耐え難い爆音を発するようになった。これもクレームで対策品に交換してもらった。
オプションで、リアワイパー装着を依頼した。その後車体後部から(カーブを切ると)異音が発生するようになった。工場の人を後部に乗せて試運転してみて、原因が判明した。ワイパーマウント部が仮固定のままだった。
点検・車検はヤナセで受けた。合計金額に端数が出ると、”マイナーパーツ”名目で切り上げられた金額、となっていた。
でも、ボンネット塗装が悪くなる前は、素晴らしい色調だった。三木市に住んで
いた姉宅に初めて乗って行ったら、甥がボンネットの先端に「イチゴ、イチゴ」
と言いながら食いつきそうになり、あわてて引き離し抱っこしたくらいだった。
三角窓は、車内換気には絶大なる効果を発揮した。
整備料金が高いので、フロントディスクパッドは自分で交換したり、ユーザ車検
(そのころ未だ一般的ではなかった)もした。
燃費は20km/l走った。しかもお安い軽油で。
共に過ごしたあのクルマの運転感覚は、今でも忘れない。