南方(みなみがた)の思い出

物心着いた頃、岡山市内に住んでいた。
岡山市南方(みなみがた)の旧南方小学校の近くだったと覚えている。
現在、旧南方小学校は、旧弘西小学校と統合し、岡山中央北小学校となっているらしい。
姉に連れられて幼稚園に遊びに行き、丁度お昼寝の時間だったのだろうか、組曲アルルの女」の「美しきペルトの娘:第2幕第2場の開幕前の間奏曲」をいい曲だなぁ、と思ったことを覚えている。
住んでいた宿舎の2階で、夕焼けを見ながら、
♪夕焼け空が、真っ赤か、トンビがクルリと輪を描いた、ホーイのホイ。と三橋美智也の「夕焼けとんび」を歌ったな。
今調べてみると、1958年(昭和33年)の頃らしい。
そういえば、1958年4月19日の日食現象もガラス片にススを付けて見た、のも覚えている。

西川でタニシを取った時の川の香りは、今でも忘れない。
そのころ蛍がまだ西川に生息していて(!)、父の自転車の背中で両手の中にいるホタルが点滅するのを見たのを覚えている。
 
記憶にないころから、脱腸(鼠蹊ヘルニア)で、ゴムの矯正バンドを付けさせられていた。
どうも、言葉のろれつが回らないころで「トウトウ」という名前になっていた。
言葉を覚える頃、言っていた「取る取る」がなまったらしい。
鼠蹊部にむりやり変なバンドを付けさせられるのは、嫌だと意思表示ができるようになってしなくてよいようになった。
イヤだといえば、夜尿症(オネショですな)の治療(と称してと思う)で、灸を据えられていたこともある。
「やいと」と言っていたようだ。据える方は何ともないが、やられる方は熱くて大変で、泣き叫んだ思い出がある。"It was a kind of child abuse."
 
いつか、晩飯を喰っていたとき、父が何か気に入らないことがあったようで、ちゃぶ台をひっくり返したことがあった、ことも覚えている。
大きくなり、巨人の☆でその場面を見て、漫画には後始末が無い・・・と思った。
 
近所に、おばあさん(おばさん?)が住んでいた。
名前を忘れたなぁ。
たいへん良くしてくれたのに。