(1974年)8月13日(火)快晴、19日目

さらに悪いことに二人の日本女性が入り込んできた。臆面も無く窓際にいた自分の前に来た。1等車コンパートメントは6人定員だから、寝るときは向かい合わせ席を引き出し即席ベッドを作る。対面同士入れ違いに寝るのだが、このままでは自分と入れ違いに女性が来ることになって、具合が悪いのだ。
イタリアの2女性が電気を消した。
日本の二人がトイレに一緒に行っているときに、イタリア女性が自分の席と対向の席を引き出し、手振りでここに寝ろ、と示してくれた。日本の女どもは、隣席で入れ違いに寝るよう指示されていた。さすが、イタリア!見直した。
朝方、窓側のこちらが寒いのに、日本の片割れがシャッターを開けて、自分が「明るくて眠れないんですが。」と言うと、「だって、外が見えないもん。」だって、アーア。
お陰で一日中、寝不足。
バーゼル着、7:05発でチューリッヒに向かった。コンパートメントでない1等に初めて乗った。1列3人掛け。スイスはユーレイルOKだが、パスポートも要求された。
途中で列車に暖房が入るのに、気づく。
お世話になったあのイタリア人の姉御二人も、チューリッヒに来ていた。街中ですれ違った。向こうは気づかなかったが。
10ギルダーと10ドル換えた。スイスの高額紙幣の面積の大きいこと!
コーヒー1.1Fr。
パン食べて、オレンジ1コ。
コインロッカー、1Fr入れてもカギが掛からず、故障中で、戻したらそのままお金を取られた。
スイスといっても、それほどでもない。
別のヤツに入れなおして、また1Fr。
まずペリカン通りにある日航の営業所へ行った。日本人女性。スイス案内を貰った。
チューリッヒ湖(こちらではチューリッヒゼーZuerichseeと呼んでいる)へ行って、彼女がユーレイルパスは使えないと言っていたので、切符はどこで買えばいいのか分からないまま、うろうろしていたら、日本人の三人連れが来て、ユーレイルパスが使えるようなことを言っていた。
これはしまったことをした。ユーレイルパスは、ロッカーの中だ。
10時から11時までかかって駅まで歩いて往復してきた。セータ脱いだ。もう1Fr。
船着場途中にデパートがあったので、「スイスの南京錠」を購入、3.50Fr。キーの波が非常にシンプル。こんなんでスイス製? 絵ハガキ0.40Fr×2。
再び船着場。念のため、ユーレイルパスは使えるかと聞いたら、「使える。船がふたつある。どちらにするか。」と言う。
ボンヤリして、大きい方にした。これが間違いの元。小さい方でよかったのだ。
1等があるので、気分を良くして、1番前の良い席に陣取ってたら、4時間半もの乗船時間の上、上からはギラギラ太陽に照らされるハメになってしまった。
右隣には、USAの50歳くらいの夫婦。フジカのカメラ。途中でシャッタが降りなくなってゴソゴソやっていた。
よく日に焼けた。
ヒルメシには、片道後すぐ行けば良かったがグズグズしていたから、USAの夫婦に席を取っておくよう頼まれた。このため、14時過ぎまで待っていた。帰ってきた当の夫婦、自分がレストランに行かなかったのを見て、"Do you have money?"だって、バカにしてやがる。
せっかく、とってやったのに。
途中、眠くなり、居眠り。眠りを戦闘機がひんぱんに覚ます。よく飛んでいる。
やっと、船から下り、バンホーフ通りの食料品店へ行き、9.75Frで、牛乳(←これが大クワセ者。腐っていた)、パン、チーズ、プリン(アムスの恨み)、オレンジ。
駅前から7番電車。何の気なしに乗車していたら、車内検札が回ってきた来たーー。切符持たないので、危機一髪で、停車停留所で飛んで降りた。
その後は、暑い中歩いて行った。道を聞いたおばちゃんは、違う道を教えて呉れた。うろうろしていたら、さも聞いてくれとばかりに近寄ってきたのに。
スイスは、アメ車が多い。ドイツでは殆ど見られなかった日本車もここでは良く見る。
カローラ・バンまでも走っている。
YH到着。一晩6.5Fr。晩飯5Fr。カウンターでパスポートを預けるよう言われた。
18時まで洗濯。
夕食、日本人と話しながら。
19:35宿泊室、同室の何人かが、イスラムの礼拝を始めた。このYHにはアラビア系がたくさん居る。
今日の反省。街に出る時は、IDカード、パスポート、ユーレイルパスを忘れるな。
スイスの水は、飲める、うまい。
明日は、どこに行こうか。