うんこの思い出

おじぃちゃんが死んだのは、多分ぼくが小学校3年生の頃だったから、この思い出はそれよりも前、おそらく小学校低学年の頃だったろう。
その頃、小便は学校で大っぴらにできたが、うんこだけは「ぜったいに」学校ですることは、少なくとも、男の子の間ではタブーだった。
朝、うんこを家ですると、あとは通常の日は、OK。
たまに、出そうになると、がんばってがまんして、家までソロソロ帰り便所に駆け込んですっきりしていた。
家は、学校から数分の近くであったので、はずんできたとき(脂がにじむ努力をして)ガマンしたのである。
ある日、うんこがはずんできた。
がまんした。
しかしどんどんはずんでくる。
がまんした。
しかしもっとはずんでくる。
便所に行きたい。
学校の時間は上の空、終わるのをジッと待った。
学校が終わった。
帰る道の小道、遂に肛門括約筋の限界が訪れ、最後の一線を越えた。
おしりに棒状物発生の違和感と、おなかのすっきり感が同時に来た。
そのときの眼前の光景は、いまでも忘れない。
がに股になり、家に帰った。
おじぃちゃんがいた。厳格なおじぃちゃんで、日頃怖いおじぃちゃんだったが、しかたがない。
「うんこが出た。」
と言った。
「そうか。」と一言。
井戸端まで連れて行ってくれ、後始末をしてくれた。
なんにもいわず。
あとで、家族にも何も言わなかった。
おじぃちゃん。ありがとうございました。