電車の非常通報

東武日比谷線乗り入れ電車旧2000系には、車内出入口付近に非常通報スイッチがあった。
小生は、一度これを操作したことがある。
六本木に通勤していた頃のことである。帰宅時に、神谷町から小生のはす向かいに着座したややお年を召した女性の様子が少々フラフラしていたことは、彼女が乗ってきたときから気づいていた。
神谷町〜霞ヶ関の間は各ベンチシート平均1〜2名分ほど空いていて、彼女は造作なく座れていた。
次の日比谷で降りようとしたのか、電車が減速に入るときに立ち上がった。
が、慣性の法則で前のめりになる体に足がついていかない。
ニ三歩たたらを踏んで、ドサッという感じで倒れてしまった。
緊急事態だ。
電車は日比谷駅に着き、ドアが開いた。なんとかしなくては。
そこで小生が、彼女を助け起こしてホームに出るべきか。倒れた衝撃でハンドバッグから中身がこぼれている。靴も脱げている。どうやって全部を集めるのだ。
ましてや、ホームでその後どうするというのだ。さらに助けを求めないといけないのだ。
ここで、非常通報スイッチが小生の斜め後方にあることに気がついた。電車は遅延するが、ひと一人の非常時だ。
とっさにここまで判断し、その後ためらわず、ぐいと押した。
車両内にリーンともジャーンともいうベルの音が響いた。
車両の外に出て、最後部車掌に手を振って合図した。
すぐに駅員が一人走って来た。確認してすぐ去っていく。
ベルはまだ鳴っている。
今度は2〜3人で担架を持ってやって来た。
車両内に入り彼女を抱えて乗せ、身の回り品を手際よく集めた後、ホームに運び出した。
駅員が電車の非常通報スイッチを復旧させながら、「どなたが通報されましたか?」と乗客に聞いた時、正面に座っていて(何もしなかった)若い女性が、「この人です。」と小生を人差し指で指差した。まるで悪い人を指すときのように。
これには、びっくりしたが、駅員は「そうですか。」といって下車していった。
電車は日比谷でやや遅延したので、次の銀座でどやどやと人々が乗車し、いつものラッシュ電車の日常に戻っていった。
もちろん、倒れたその女性がどうなったかは、知らない。