「あの世」に無い普遍性

ご存知のように、あの世に何も持っていくことはできない。
現世に残されたモノは、形見として分けられる。
現生の人間には、死者の記憶として残る。
しかし、その記憶もその媒体たる肉体自身が亡ぶことで、失われる。
亡失を防ぐため、祭壇が用いられる。
そのイコンすらも、年月により風化する。
結構高価な墓地分譲商売が繁盛している。
「永代供養」というキーワードで。
そのようなものは有り得ないことに、人々は目を背けてか、購う。
そのようなことだからこそ、人々は競うように財布を差し出す。
フランスでは、3世代経過した墓地はチャラにする、と聞いたことがある。
なぜなら、現実的に覚えている人間はもう存在しない、という理由だそうだ。
冒頭で「あの世」と記したが、歴史・宗教・民族により、それぞれ定義が異なる。
そのこと自身が、その普遍性無きことを物語る。
確実なのは、今日現在生きて考えることができる、ということだけ。