鉄道忌避伝説の謎

鉄道忌避伝説の謎 汽車が来た町、来なかった町
吉川弘文館歴史文化ライブラリー
青木栄一 著
ISBN:464205622X
本書は、明治時代新たに鉄道が来る際に地元の人々が反対した地域があり、そのため線路が迂回せざるを得なくなり、かえって町が衰退してしまった・・・といった典型的な、「鉄道忌避伝説」は、間違いである。ということを主張している。
著者は豊富な検証例を挙げ、過去忌避論は現実的ではないという。
山陽地方山陽本線の岡山〜姫路の区間についての記載があるのではないか、と思い読んだ。
以前聞いた話では、上記の区間は、海岸路線敷設に対する強い鉄道反対運動があり、相生からの鉄路西進において有年・上郡の山間に路線を迂回したため、
地図、

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にあるような本線ルートとなった。
鉄道の有用性に気付いた人々が、後日、海岸沿い路線を誘致し、「赤穂線」が開通した。
というもの。
地図ではいかにも鉄道忌避があった・・・かの線路形態となっていると思う。
この記憶に、ズバッと回答が欲しかった。
自らの主張に沿う例証を集めれば、結果的にそうなるのが自然である。
このような、いかにもそれらしい事例を分析してこそ、主張に重みがでると思う。
街道の栄枯盛衰という観点からは、山陽本線瀬戸駅周辺が良い事例である。
江戸・明治時代は、現在の国道250(旧2号線)が街道であった。
鉄道敷設時、上記の忌避があり、線路ルートは、山側を辿り、現在の瀬戸駅が設置された。
その後、瀬戸駅周辺は人が集まり、映画館が複数設置されるほど賑わった。
1962年の岡山国体を機に、国道2号線が「新国道」として、バイパス道路拡充整備がなされた。
瀬戸駅は、国道2号線からは離れた位置に取り残された。
人荷の流れが国道側に振られたことから、それ以降瀬戸駅周辺は寂れる一方、となった。