六甲山頂、大パラボラアンテナ

こころという意味を名前に持つ、とあるVAN会社に転職したら、研修の名目で即親会社の工場にシステム構築の最終工程の助っ人に投入された。

阪神尼崎駅近くのビジネスホテルに陣取り、バスで通う日々であった。
にわか単身赴任となり、食事は、朝:コンビニ、昼:弁当、夜:阪神尼崎の中央商店街内の中華屋、の日々であった。
休日は、尼崎駅近くの市立中央図書館に入り浸ることができ、なかなか悪くなかった。
梅雨明けの夏の夕刻、仕事が終わり北側のロッカー室の窓から着替えをしながら夕焼けの六甲山を見上げると、その頂上に米軍の大パラボラアンテナ4基のシルエットを眺めることができた。
かつて独身時代は気軽に六甲山に登ることができたが、残念乍ら、当時お金の節約のため、そこにまでまた行く気にはならなかった。
 
翌年、件の大パラボラアンテナが撤去されたと聞き、残念、そのときやはり無理をしてでも行っておくべきだったと思った。
そんなに簡単に米軍が権益を手放すことはないと高を括っていたからである。米軍は、阪神間の目立つ場所にある「象徴」はまずい・・・と判断したのであろう。