(1974年)8月2日(金)晴、8日目

7時過ぎ起きる。
きょうの朝メシはゴーカ。本場フランスバゲットは美味い。やっと腹具合がよくなった。
ホテルを出るとき、掃除をしているおねえさんに呼び止められたが、何を言っているのか分からないうちに、釈放。
髪を洗わないと、頭がかゆい。
今日は、初めに日航の営業所に行くために乗り換えて「ジョルジュ・サンク」駅で降りた。シャンゼリゼの大通りも車がいっぱい走っているだけで、なんてことはない。
日航でCityramaのパンフレットを貰い、コンコルド広場を過ぎたあたりまで歩いて戻った。
どこかなー思っていると、トランシーバを持ったおじさんが何に乗るのかと聞いてきたので示したら、切符を売るおじさんだった。
シティラマ、パリ一周コースだ。
押し合いへしあいで乗ったバス(2階建て)は10:15に出発。
航空機のように、イヤホン言語を選べる方式。
ノートルダム、アンバリッド廃兵院を通った。ここの裏手でヒルメシ。高いコーラを飲まされた(飲んだんだが)5F出して、1Fとちょっとのお釣り。
エッフェルタワー、凱旋門、商店街、ムーランルージュも通った。
大学生協でおととい来たという9人ほどの一団を出会った。
13時過ぎにバスを降りたが、途中見た東京銀行までわざわざ行って旅行小切手は使えぬかと聞いたら、使えぬと言うので、10ドルの現金を換えて(46F)2時5分前にチュイルリー公園前のセルフサービスレストランに飛び込めた。10.5Fだった。
ルーブルに行ってたらポラロイドを持った兄い3人ほどに狙われたが、顔を背けて通り、よかったよかった。
今日は、IDカードを持ってこなかったので、3Fとられたが・・・が!
モナリザと会えた。
なんと言う、素晴らしさ。
それから、マントバ候伯爵夫人のイザベラ・デステの素描もあった。複写のためピンで刺されてかなり傷んでいた。
あまり作品が有名になりすぎて世界の宝と呼ばれるようになると、もしその作品が言葉を喋れたら悲しがるだろう。
いろんな人にチラッと見られるより、少数の人にじっくり見られる方が幸福ではないだろうか。
とにかく、すごかった、涙が出てきたもの。
ドミニック・アングルの裸婦3点。外人はノーブラがうようよ。それに引き替え日本人のちんけなこと!
ホテルに帰る。
フロントに、また貸した4Fのことを訪ねた、がまたしも無い、と言った。
チップを置かなかったので、ベッドメイクされていなかった。朝、掃除をしているおねえさんに呼び止められたのは、そのことだったのか。でも全然構わない。
<解説>
当時から、ルーブル美術館付近に良からぬ奴が出没していたのだ。