日本その日その日

講談社学術文庫
ISBN:9784062921787
エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse)は、
明治初期に腕足類動物研究のために来日したところに声をかけられて、大学教授に請われた。
横浜に上陸して数日後、初めて東京に行った時、線路の切割に貝殻の堆積があるのを、通行中の汽車の窓から見て、
私は即座にこれを本当のKjoekkenmoedding(貝墟)だと認識した。(p140)
とある。
鉄道建設時には、縄文海進時の段丘の裾にあった貝塚を掠めて線路敷設をしたのだが、誰も出土する貝や土器や骨片や石器に目を留めなかった。
そこにあるのに、認識できないものは、見えない・・・という良い例である。
本書の内容では、上記は軽く触れられていて、主に明治時代の庶民を米国人が見た旅行記として大変興味深く読める。
円安で海外から多くの旅行者が来日しているが、その印象は概ね良いものをもって頂いているようだが、彼はその嚆矢といえよう。
日本料理については、2回目の来日ですっかり慣れた著者は、同行者と、
西洋風に料理されそして客に勧められると仮定されている物を出す日本の料理屋に招かれた
(中略)
出る料理出る料理一つの残らずふざけ切った「誤訳」
であった・・・とある。(p249)
中途半端な解釈は、誤解:逆効果をもたらすことがある。
和食が海外で供されるとき、「妄想ニホン料理」のような解釈が成されるもあるだろう。
さて、著者:大森貝塚の発見者は、「モース」だが、同じ綴りで、
サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス(Samuel Finley Breese Morse)氏は、
おなじみの「モールス符号」となって表現されている。
この点、本書中の講演会案内挿図では、「モールス先生講談」(p260)となっている。
どこかの時点で、変化しているのだが、どのような契機で変わったのか興味深い。