(1974年)8月7日(水)一日中快晴、13日目

7時に起きた。
今日の目的はライン下り。
レシートを持っていかずに食堂へ降りたので、4階までまた上がって取りに行かなければならなかった。隣に座った人がもう1枚レシートを呉れたので、ミルクだけ飲んで、あとはリュックに入れた。
市内電車にただ乗りして中央駅に向かい、マインツ行き9時発の電車に乗れてホッとしていると、日本人(三井という人)が乗ってきた。
マインツ駅から波止場までタクシーで一緒(5DM支払ったら3スイスフラン呉れた)に行った。
タクシー:BMW。女の人の運転手。舌打ちしたりして、どこも同じである。
10:15と11:00発がある。11:00のはコブレンツまで行くのだ。で、それに乗ることにした。
上流向きに停泊していた「GEOTE号」が向きを換えて下るらしい。
#ギョエテとは、俺のことかと、ゲーテ言い。
前述の三井さんと、YHで一緒だった西田さんと、高校時代の友達で、エッソ、三菱商事日本鋼管にそれぞれ勤めているという3人の女の子(22歳くらい)の一団と、英語の発音が抜群な姉妹とが一緒になり、船の前のデッキでワイワイ騒いだ。
いろいろライン川流域の古い城を撮った。
中には、当時ネスカフェの宣伝でTVによく出ていたプファルツ城もあった。
ローレライに近くなると、ドイツ語で解説があり、やはりローレライが流された。
船の荷物置場、50ペニヒだったが、30ペニヒしかなかったので、三井さんに出してもらった。
コブレンツに着いて、駅まで1DM。
夕食7.7DM(6DMメニューと1.7DMのビール)
ゲーテ号の全景を撮れば良かったな。外輪船だったのにー
19:17にコブレンツを出て、ケルンまで行き、夜行でまた引き返してミュンヘンまで行くつもりだ。
23:18発だろうと思って乗ったのはオーストリアEXPRESSで、6番線に入ったので、また4番線の端で待っていたら、列車がもっと短くて、気づいたときは出るところで、ペケ。
また、6番線のオーストリアEXPRESSに乗って列車の細い通路をエッサエッサとかなり歩いた。