(1974年)8月10日(土)晴、16日目

Munhenを離れる時になると晴れるんだから、いやになってしまう。
今日は、東へオーストリアへ向かう。ウイーンまで行くと日程的に苦しくなるので、ザルツブルグまで。
6:50起。
8時出発。マーケットが閉まっているかなーと思ったら、開いていたので小銭をはたいて4.45DMでパン、ハム、チーズを買った。
8:52発のザルツブルグ行きに乗車。
10:38到着。10マルク換えた。
インフォメーションを探すのに手間取った。プラットフォームのところにあった。地図とパンフレットを貰った。
手荷物一時預かりに、リュックだけ(バッグはどうしようかと思ったのが運のつき、後で後悔)預けて出かけた。
自分は、うろうろはっきりしないところがある。こうと決めたら前進すればいいのに!
大回りで、ミラベル公園に着いて、ベンチでホッとしていたら、なんと!!ライン下りの船中で一緒だった(英語がうまい)姉妹が来た。これにはビックリした。同じ時に同じ街にいるなら話が分かるが、1点でまた逢うとは。
でも、少しお話しただけで、おしまい。
きれいな公園だ。丘のある古城に行くために近くの丘に登り始めたら、ババリア地方の服を着たおじさんが「おハイお」と呼びかけてきた。先ほどドイツ娘を話していた人だ。
犬を連れていた。東京、大阪、京都、広島、名古屋を知っていた。
いい散歩道。眺めがいい。家と上山さんにハガキ(4シリング×2)を書いた。
ホーエン・ザルツブルグ城。 すごい急坂。昔の人は毎日よくここを登れたもんだ。
パンを買おうと焦るが、売っているところがない。もう12時を回っているのだ。そうだ、今日は土曜日なのだ。
モーツァルトの生家と住んだ家が街中にあった。
一旦駅に戻ったが、再び公園に行って晩飯にした。あしたのパンがないー。ミュンヘンでもう一つ買っておけばよかった。
始めは、20:40発のしようと思っていたが、急遽変更して、19:35のブリュッセルオステンド行きにした。
ザルツブルグは夜になると、日本人も止せば良いのに、びらびらを着て出てきだす。
30分毎に教会の鐘が鳴る。いいな。
<解説>
ホテル/YHに宿泊すると、宿代が必要だが、夜行列車は無料で、ほとんど貸しきり状態のため、地理的には離れている都市だが、当時では違和感なかった。