祝電の工夫

祝電の工夫
退屈を具現化したものが結婚式であるという主旨のことは、以前少し書いた。
出席するから、退屈、なのであって、出なければよいのである。
当事者同士、退屈をテーブルクロスとナプキンの上辺で隠しあっておればよい。
ただ、お世話になった方が祝典を挙げられる場合、祝電の一本でも心づくしを差し上げたいものである。
同じことなら、面白いもの、出席者全員にウケル物を目指したいもの。
1975年(昭和50年)、ハウス食品工業のシャンメンのCM、「私作る人、僕食べる人」が問題視され、放映中止になった頃のことである。
その頃は、東京都国分寺市の中央鉄道学園で新入社員研修中であった。
9月頃、アマ無線でお世話になった野村さんがご結婚されることを聞いた。
国分寺市の隣は府中市。当時のもうひとつの話題は、1968年(昭和43年)12月10日に発生した三億円事件
これが、同じく1975年(昭和50年)の12月10日に、公訴時効成立するということでも話題になっていた。
そこで考えた。できあがったのは、
「ご結婚おめでとうございます。私、待ってる人。あなた、待てない人。三億円犯人より。」
今、上記のことを思い出して入力しても、なんにも面白くない。