今時の命名法

朝日新聞の夕刊に、今時の命名、と題して、「雪月花」を「せしる」と読ませる、との記事があった。
それによると、「読み方、法規定なし」とある。
うーむ、我が第二子の出生届を提出時、役人が一旦退きなにやらごそごそ確認し、『それなら問題ないです。』と言っていたぞ。
あの動作は、読み方を確認することしかなかったはずで、約20年前は、枠に嵌めることについて何らかの制限が、確かにあったように思う。
で、思い出したのが、数日前の同じ朝日新聞の記事。
なぜ、TOMATOは、トゥメィトゥとならず、トマトとなり、BANANAは、バァナァナァとならず、バナナとなったか・・・について、である。
それによると、日本人は、内部での意思疎通を優先とし、別段原語にはこだわらなかった、のではないか・・・という説から、というもの。
同意する。
耳で聞こえたようなことを優先する(ヘップバーンがヘボンロングフェローがロンヘロ)こと、即ち、その本質にまで迫ることをせず、表層感覚優先:内面思考軽視、からこのようなことが起こっているのではないか。