(1974年)8月18日(日)晴、暑い!、24日目

そろそろ、日程が詰まってきた。1ヶ月間も期間あり、どう消化できるんだろうと思っていたが。指定の期日にはブラッセルに集合しないといけないので、今後の方針を決めないといけない。
案1.南ローマまで行く
案2.スペインに足を伸ばす
フロントに荷物を預けて、出た。USAの二人はまだ寝ていた。
駅に出て50$ CHANGE。駅窓口にクック時刻表を見せ、スペイン列車の予約にいったら、イタリア内しかできないといわれ、がっかり。
アカデミア美術館まで、道に迷いながらもたどり着いたら、今日も閉鎖。何のためにベニスに一晩泊まったかわからない。橋を渡り、みやげ物地帯にいった。さすがに今日は日曜日。カメオを売っている店もあるが、どうにも買う気になれず、暑い中を再びホテルまで帰った。
荷物を担いで、駅に向かっているとき、昨日の一団に再会。カフェーにいた。晩頃フレンツェに着く時刻の列車を聞かれた。12:43発の列車が良さそうだと思い、それに決めた。
ハラが減った(朝パンだけ)ので、駅のレストランで豪勢にしようと入ると、日本人がいた(二人)。テーブルについても、注文を取りに来る気配がない。その二人はさっき着いたそうだった。11:30頃、テーブルを換わって、スパゲッティとビーフティーク(を頼んだつもりだったが変なのがきた)とサラダとコカコーラ。食べ終わってビル・プリーズと言ってもなかなか来ない。焦って、12:40頃テーブルを立って金を払いに行った。2550リラだった。
かなり、焦って行くと、列車は居た。1等に必死で乗った。が、45分になり50分になっても出ない。結局、43分遅れて13:26ようやく動き出した。
止まっていたら、とにかく暑い。じっとしていても汗がほほをつたう。動き出してホッとした。
USAの二人連れ(♀♀)とイタ公の二人連れ(♀♂)。女の方はヒゲ生えてんの。
イタ公の方は、窓と戸を閉めて列車が動き出すと冷房が効くと、ジェスチャーで示した。これは間違いで、全然効かず、すぐに窓を開けたが、別に悪びれる様子も無かった。考え方が違うのかな。
ボローニャ停車中に、アイスクリーム250リラ。USAとイタさんは、ガス入りビン詰め飲料を飲んでいる。自分も後口が悪いので、兼ねて持参の1l容器を出して、水(湯)を飲んだ。
この辺で、気が変わった。スペインまで行ってもしようがない、という気がしてきたのダ。
あと4日、フィレンツェに居ようと決心!
16:32着の予定が、17時過ぎになった。
ツーリストインフォメーションに、無料地図は無いというので、有料版を400リラで買った。しゃがんで見ていると変なおっさんが来たので、見返してやった。
良さそうなホテルを見繕って再びツーリストインフォメーションに戻って、ホテルガイドを示して、ここに電話して聞いてくれと頼んだら、それはできない用紙に書け、と言われた。隣の人に聞いて記入した。
それを持って尋ねてもらったら、2650で、バス、シャワー付個室だという。
そこに、2650払って、地図に印をつけてもらい、駅を出て付近に行ったが、無い。
サンタ・マリア・デレ・グラツェでもそうだったが、イタリア人には地図感覚がないことがよくわかった。
結局、番地を頼りにして、着いた。1階に上がりブザーを鳴らすと男が出てきて部屋へ案内してくれた。4.5畳から6畳間だ。トイレ付。水洗トイレに「ビデ」があるのを始めて見た。試して見たが、微妙な感覚。
コネクティング・ルームかと思われる扉が別にある。渡された鍵を挿してみたら、抜けなくなり慌てた。だましだまし左右にねじり、やっと抜いた。
蚊に刺される。
そういえば、ここに来る途中スタンドで、なにか緑色の瓶を美味そうに飲んでいるのを見たが、どんな味か興味がある。明日飲もう。
この家のテレビは白黒。テレビを見に行くと、子供に自分が消し忘れた部屋の電気を消された。ヨーロッパの人は実に倹約家である。
イタリアのお金(お札)はほとんど傷んでいる。まともな物は数えるほどしかない。やっぱり国の札の値打ちが無いのを知っているのかな。
1000リラは、ヴェルディさん。5000リラはコロンボさん。ヴェルディさんの裏側はミラノのスカラ座