(1974年)8月16日(金)晴、22日目

今日は、スイスからイタリアに南下予定。
オレンジ6コ、牛乳、アイスクリーム、ヨーグルト、4.7Fr。マーケットで。
5.8FrでZermatと書いた皿を買った。お陰でコイン2枚しか残らず、ハガキ出せず。
駅前のみやげ物店で、9:30発の列車なのに、9:27頃焦って買ったから!
Brigでほとんど行動を共にした人達を別れて、妹がイタリア人と結婚したというメタルフレーム眼鏡+髭でフィリピン人みたいな男性と、スチューデントレイルの四角い顔した自分より背が高い人と、フランス大使館経済部に勤めている坂口○子(名刺を貰った)さんと、一緒になった。
ミラノまでに、10frと20$換えた。
足が昨日の影響で痛い。
髭のフィリピン人もどきの人とは、ミラノ駅で別れた。
坂口さんがホテル探してくるのを待つ。イタリアンタイムで1時間早くしてあるから、16:40頃。でも日は煌々。
3人で地下鉄(100リラ)でカドルナ駅へ。念願の、サンタ・マリア・デレ・グラツェ修道院へ行った。
近くの人をつかまえて、地図に印をしてもらったが、だめ。いいかげんだった。
結局、人の行く方がそうだった。
IDカードを見せると、無料。
それがある部屋だけ修道院とは別になっている。
入ったとき、息をのんだ。夕暮れ時の光が窓から差し込んで。壁が所々はげていてイメージもうろう。・・・描かれた時はどんなにか・・・
ミラノの権力者。ロドビコ・イル・モロに仕えていたとき描いた、モナリザは日本に来られるがこれは壁画なので無理、と坂口さんに解説。
レオナルドは悲しい。作品がこんなになって。しかし残ったのは不幸中の幸いなのだ。
あの光景を一生忘れないぞ。17:30までいた。
涙がでそうになる。よく残ったものだ。
中央駅まで戻って、近くのレストランで食事。坂口さんのオゴリ。
ビール、サラダ、スパゲッティ、アイスクリーム。ハラ具合がおかしい。
坂口さんをホテルまで送り届けて、男二人で100リラ地下鉄で終点まで行き、YHに入った。
1500リラ。さすがイタリアは暑い。汗がダラダラ出てくる。こんなところによく住んでるな。スイスが懐かしい。
蚊にやられた。家にハガキ出さなければ。