レオナルド・ダ・ヴィンチ ライセスター手稿展

で、レオナルド。
光度を極端に抑えた展示室内で拝見。
手稿の現物は、天才の頭脳の中で何が考えられていたか、を物語るものであった。
鏡文字で脈々と続く記述。当時の自然科学進展状況に、ある点で囚われ、ある点では突き抜けた、内容。
囚われた点の一例:彼は人体解剖をしたが、人体血流が毛細血管を経由して体内循環する知見はなかった。
突き抜けた点の一例:山頂の化石の存在の原因は、ノアの箱舟ではないと断じた。
おそらく、彼は後世代の人間が見るのを予想していたのではないだろうか。
精密な原寸複写で、書籍等で見てきた各種手稿の細部まで確認でき、かつての時代、本当の天才がこの世に存在していたことを実感した。
PC上で他の手稿概要を閲覧できるようにもなっていて、手稿寸法にも各種あることが確認できた。
彼の手稿は、更には本来もっと大量にあり、弟子のメルツィが散逸を許したとも言われている。実に惜しいことをしたものだ。
6月2日の日記「テレビ レオナルド・ダ・ビンチの生涯」でも紹介されていたが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、墓が存在しないのだ。
当時、墓には鉛が詰められていたので、後世の戦争時に鉛を調達するために墓が暴かれ、現在では所在が不明になっている。これも惜しまれることだ。
資料として、上記TVドラマ制作でもかなり参考にしたと思われるジョルジョ・ヴァザーリの1550年に出版された「美術家列伝」の初版本が展示されていたのを見る思わぬ機会を得たことも良かった。
 
今回の表題は、「ライセスター手稿」である。
人口に膾炙する「レスター手稿」ではない。
公式ウェブサイトでビル・ゲイツ氏は明らかに「ライセスター」としゃべっていた。
何故違うのだろう・・・と思い、会場出口の係員に聞いてみた。
知らない・・・どこかに聞いていたが、分らない・・・
変なおじさんが、変なことを聞いてきた〜〜〜という応対をされた。
質問票を提示され、書けと言われたので、「何故日本語ではレスターになるのでしょうか?」と記入した。返事はe-mailで来るそうだが・・・期待薄。
 
出口からの順路上に、「森都市未来研究所」の大都市模型が展示されている。
案内のお嬢さんと少し話しをした。
するとなんと、彼女は、「GoogleEarth」を知らなかったのだ!
事務所にある(と思われる)インターネット端末で検索すると簡単に所在が確認でき、精密衛星写真上でも当該都市のバーズアイヴューが可能になると教えた。
当然、その程度の知識はあり、その上でのお話が聞けると期待して話かけたのだが、なんかなー・・・
という印象であった。
 
昼食は、そのころ行っていた「中華・つけ麺大王」(まだあって良かった!)で定番のレバニラライス。
850円。
量も味もその頃と同じような感じであった。
懐かしく、会計時に少し話をした。
『この辺、その頃からはすっかり変わったでしょう。』とお店の人が話していた。