神戸東灘区再訪記

機会を得て、かつて独身時代住まいしていた神戸市東灘区を、久しぶりに訪れることができた。
東京08:26発ののぞみ105号を予約していたが、予定より早く到着したため、08:13発のぞみ9号1号車6番A席。朝の日差しが眩しくシェードを半分下ろす。
品川、新横浜停車。自由席満員で車内で立っている人がいる。
CDからiPODに録音したNHKラジオ英会話12月号を再生する。テキストと見比べつつ、久しぶりの新幹線沿線チェックも同時にするので忙しい。
英会話の内容は、実際に英語圏で転職し生き抜く人々を対象にした実用アイデア提供用途と思われる、難しい。
名古屋まで一通り再生させ、名古屋過ぎての走行は久しぶりなので、耳は休止して窓越しチェックに専念することとした。関西に近づき、天候薄曇に転ずる。
豊橋通過時、以前は(通過する)駅名表示が確認できたが今回はぶれて見えなくなったことに気づいて、年取り動体視力低下を嘆いた。しかし、見えていた当時はひかり:210km/hだったのに対して、今はのぞみ270km/h通過であることに気づき、自らを慰める。
新大阪10:49着。接続新大阪発11:01快速加古川行。
淀川橋梁通過、大阪駅北に聳える旧大鉄局跡地の「家電量販店」を見ながら、神崎橋梁通過すると尼崎停車。
以前は、大阪を出ると芦屋、六甲道、三ノ宮だったが、上記尼崎・西宮更には住吉にも停まるようになっていた。
午後の仕事に差し支えるので、11:31三ノ宮で電車を降りる。
先頭車両だったので、南側そごう百貨店の健在を確認。しかしビル外装が変化したような気がする。西口に歩むと阪急からの連絡通路が無く地上まで降りるように変わっていた。阪神淡路大震災で被災したため、構造が変わったのだろう。
エスカレータで、関東vs関西式の洗礼を受ける。
すぐ上りホームにまた上がる。
駅ラッチ外に出なければ、こういう芸当が可能なのだ。
震災後建て直し中の新聞会館(?)も確認。
11:39上り松井山手行。
11:47住吉着。
駅中、駅前、以前の面影は、無い。
かつて駅前に「コギト」という名前のスナックがあった。当時、奇妙な名前と思っていた。入ったことはない。
今にして思えば、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」(我思う、ゆえに我在り)という命題を知らなかった頃であったことに思いが至る、知っていたら、命名コギトの由来をマスター(?)に聞いていたか・・・
交差点に進む。ロイヤルホストが、変わらずにある。しかし駐車場方式を変更して立て替えたようだ。坂道を下る。
ほぼ23年ぶりに辿る道、住宅の佇まいが微妙に変化している。住吉小の西にあった公民館は無くなり公園になっていた。
さらに進む。
小学校を囲む塀の印象、映像的に変化無く、当時そのまま独身寮に帰っている幻覚を見るようだ。
遂に独身寮前に到着。参った。変わっていない。
当初は写真を撮るだけで去ろうと思っていたが、思わず玄関を訪ねていた。
寮監さんが出ていらっしゃった。事情を話すと快く招き入れて下さった。
変わらぬ玄関の様子。生活の場を他に移した後もたまに夢に出てきた光景を眼前にし、ロビー角から25年前の小生が現れる幻覚に襲われ、不覚、落涙。
よく震災に耐えたもの、内部の食堂、風呂場、洗面所もほとんどそのままであった。
神戸若年青春不帰。
只有中年生活現在。
寮監さんの親切な応対に感謝しつつ辞去。
住吉川に出る。
新反高橋、ここから住吉川ジョギングに出かけたものだ。
谷崎潤一郎旧邸「倚松庵」及びレストラン「モーヴ」の健在を確認。
そろそろ時間が押してきた。
旧東灘文化センターを確認したかったが、そこまで行き着けず断念。
魚崎12:41発梅田行直通特急
梅田13:02着。