万物の尺度を求めて
メートル法を定めた子午線大計測
The Measure of All Things
ケン・オールダー著
吉田 三知世訳
ISBN:978-4-15-208664-8 刊行日:2006/03/23
1メートルは、赤道から北極までの地表距離の一千万分の一、として定められた、ということは常識として知られている。
では、なぜ、そうなったのであるか。
百万分の一では、一億分の一では、なぜいけなかったのか。
フランス革命当時、1/10000000の概略長が、現在の一メートルに近いことは既に知られていたようだ。
人間の身長に近似した長さを基本単位として定めることを、市民革命を標榜する当時のフランスとして、アンシャンレジーム払拭の絶好の機会として、ドゥラン
ブルとメシェンの二人がパリを通過する子午線上ダンケルク〜バルセロナ間の三角測量に任じられた。
これは、この機会を利用して、地球に基づいた世界に通用する度量衡の基本がフランスに生ずることを認めさせることを意図していたのだ。
実際の測量は、実に辛酸を極める内容であり、それが今に残っている資料から解いたのがこの本。
世の中、規定のこととして運用しているちょっとしたことの中に、先人の苦労がつまっていると再確認した。
さて、
1795年6月、ドゥランブルが子午線測量再開をした時の描写に誤訳がある。
p201に、
「ときおりオートバイが轟音を立てて通り過ぎる」
とある。年代的にそのようなことは有り得ない。
人力自転車は、1818年、ドイツのカルル・ドライス男爵が発明。
エンジンオートバイは、1885年、ゴットリープ・ダイムラーが発明。
であるからだ。