友人から聞いた話

友人から、最近聞いた話。
そもそも宗教は、その昔に当時の世界のありさまを説明するために、人間が自ら創設した概念だよね。
ウィキペディアでは、
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念
であり、
その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団
のこと
とあるね。
太古では、現在のような世界に対する知見がなかったことから、「なぜ、それが、そのようになっているのか?」
を説明する必要性に駆られたとき、それを解決するために、その集団内で、「ある観念」共有されたというのが歴史的な流れだと思うんだ。
それが、元になって、社会集団を規律する思想が共有された結果、宗教として言われるものになったんじゃないかな。
大きくマルマル教といっても、その中にはいろいろな宗派があるね。
それらの多くには、「我々は選ばれた優れた集団だ。」という選民思想があるね。
「我々は優秀だ、ほかの者はそうではない。だから・・・」
というように、他者に寛容ではない考え方で対応する極端な一派もある。
でも、今現在「人間の力や自然の力を超えた存在」とはなにか・・・をもう一度見直す必要があると思うんだ。
世界を構成するものを試しに取り上げると、古代ギリシアでは「火・土・水・空気」であったものが、今では学校で「水素、ヘリウム・・・から始まる、元素」であると習っている。
そして、その説明を覆すような知見はないことは認めてくれるかな。
なぜそれが体系つけられたのか。それは中世以降人々がそれぞれ疑問に対して回答を探った多種多様の試みの結果の大集成として人々に認識されたことに因るんだ。
朝になると太陽が東の空に現れ夕方西の地平に沈み、夜になると星が見え、それらは見かけ上我々を中心に巡る・・・ということも現代の宇宙論ではかなりのところまで説明ができる。
例を挙げるとまだあるが、「元素」「宇宙」を合理的に説明している観念のことを「科学」という。
「科学」のヒトの発生、成長、老化、死の各時点でのありさまを説明可能だが、「死後の世界」のことは説明しない。
そこが現在でも宗教が存在している理由じゃないかな。
しかし、さきほど触れた「宇宙」を思い起こしてほしい。
我々が存在するこの「宇宙」。 それは我々が存在する唯一無二のものであることは、全世界の宗教者も認めている。
リチャード・ドーキンスは、無神論を唱えているが、彼の批判者は無神論もある種の宗教だ、という理論を展開している。
だから、僕は世の中の人々を導く最強の論理をもった「科学教」を創始しようと思っていて今準備中なんだ。
それは、今世界を席巻している宗教に起因すると思われる頑迷固陋な偏見も差別もない平等なものを目指しているんだよ。
それが完了したら、大々的にPRするぞ。
現在に即した教えだから、世界中の人々がこぞって改宗するだろう。

そのPR開始のXデーは、いつかって?今からX年後の4月1日だよ。