丸坊主

中学校では、丸坊主になることが不文律だった。
小学生は坊ちゃん刈りだったが、そこを卒業した3月のある日、隣接の床屋で丸坊主にしてもらった。
男子生徒は、全員丸坊主にしないといけないという地域の空気があったので、あまり気にせずしてもらった。
今から考えると、丸坊主も学生服も自転車の仕様制限も、管理する側にとっては都合のよい仕組であったと思う。
全体を単一化して処理することは楽だから、変なのがいたら目立つし、無くそうとすることは自然な考えだ。
制服は、とりあえず何も考えなくても毎日それを着ればよい
丸坊主は、髪型を気にする必要はない。
だから、良いだろうと押し付ける側は言う。
ある中学校の学校経営目標に、
生徒の主体的な取組を応援し、生徒が主役の学校作りを目指す
というのがある。
「主体的な」ということは、「自ら考える」ことと同義語であろう。
制服がないと、毎日何を着るか考えないといけない。
長髪だと、毎朝髪型に気をつけないといけない。
そこに「自ら考える」要素が生まれる。
自分で考えさせないでいると・・・
・学校教科書丸覚えを勧める学校づくり
・生徒が主役ではない教職員側の学校づくり
・生徒内のいじめを知らない学校体制
に傾倒していく。
外面と内面が乖離するようなこの事態は、3年間続く。
大人にとってはあっという間だが、少年の多感な時期には桎梏のような期間だ。
このことは、そのときにはわからない。あとで振り返って気づいたことだ。
ひずみは、弱小者に及んで顕在化することになる。
その中学校がいまでも、丸坊主、かどうかは知らない。
 
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