(1974年)8月19日(月)晴、25日目

蚊にやられてさんざんだ。朝早くから目が覚めた。8時20分頃部屋から出ると、日本人がいた。昨日遅く来て今日もう行くそうだ。800リラで朝メシ。パン2個ジャムバターコーヒーミルクにありついた。
地図を片手に、家のおばさんに「トルナブオニ」通りを聞くと「トルナヴォーニ」通りを教えてくれた。発音とイントネーションが全然違った。
9:40出発。目の前を朝の日本人が歩いているのに気づく。変な方にいくのだなあ。
まずアルノ川に出ることにした。ここも馬車が良く走っている。あちこちにハンドバッグ屋、骨董屋、小細工屋がある。
始め、ベッキオ橋は、分からなくて通り過ぎた。橋の上に家があって景観を損ねている。
ちょっと引き返して、シニョーリア広場へ向かう。高い塔がある建物、そこがパラッツォベッキョ。250リラで入場。階上に上がれる。装飾は独特のもの。ここをレオナルドが歩いたのだ。ウフツィはどこにあるかと思い、ドゥオモに行ってしまう。
教会の作りってのは、ドウモおなじだ。写真を撮る気もしない。
途中、腹減り、サンドイッチ250リラ。
「トルナヴォーニ通り」グッチの店に行った。日本人が中にいるのが見えたので、入りやすかった。
さすが高級店。お安くはないが、デザインは良い。中の写真を撮ろうとしたら断られた。
外に出て再びシニョーリア広場に行きながら考えた。いいのを買って帰ったらお母ちゃんは喜ぶだろうな。よし!昼に帰って金の計算だ!お母ちゃんに報いるためにも一流品を買おう。
昼近くになったので、広場でやっていたレストランに行き、スパゲッティ、ローストビーフ、サラダ、オレンジエードで、3000リラ。何とウフツィ美術館はすぐそこだった。
月曜休館。
サヴォナローラ火刑記念敷石が広場にあった。
TV「レオナルド・ダビンチの生涯」で見ていたから、実に興味深い。活きた歴史だ。
再び川の方に出てから、トルナヴォーニ通り経由、街中散策してペンションに帰った。
残り3日分の宿賃を払った。8000で50のお釣り。
部屋で残金計算。250$と2000リラで、165000リラあった。
あと55ドルは免税ショップでの酒の買い物に残して、1万円と5$をリラにすることにした。
15:30.中央駅に出て2万リラと5ドル分のリラを貰い、22日のフィレンツェ→パリ間寝台列車の予約に出向いた。11番窓口で3200リラで2等車の予約。
喉が渇く。暑い。
4時になったが開いてる店は、ない。また周辺を彷徨し、一旦ペンションに帰ろうかと思って、「アドリアンス」という店の前を通りかかったら、中にわんわん日本人がたかっているのが見えた。
ハハァー、これが名高い日本人の集団買いか、と思って中に入ってみた。
日進交通という団体で、30〜40人だろうか、団体バスの運転手に連れられて来たという。いろいろ買い漁っていた。やはり、団体の一員ではない、という風になんとなく分かるようで、最初それらしい対応をされたが、少し話すと、いろいろ聞かれ、つきあって色々みやげ物を見た。
17時が来たので、団体さんと別れ、あの閉まっていた店はどうだろうかと行ってみたら、バンザイ開いていた。
昨日、イタ公がおいしそうにして飲んでいた緑色のビンと牛乳と生ハム200g、パン5個で、1210リラ。
残金、18500と小銭。
フレンツェは外貨の稼ぎ頭だ、明日は、ウフツィとアカデミアに行こう。