1980年代後半は電電公社の民営化に伴い新規通信会社ができて、日本全国にエリアを確保すべく競争していた。
東海道が終わり、東京から北方に光ファイバを延伸する工事を進めて、宇都宮でサービス開始セレモニーを行うこととなって、技術サポートスタッフをすることとなった。
開業セレモニーの事前打ち合わせに出席したとき、広告代理店から、開業記念通話先の電話の相手先として、当時売れっ子作家だった立松和平さんに声を掛けたら、了承を頂いたとの紹介があった。
だが、その新規通信会社の広報担当者は、立松さんを知らなかった。
「誰?それ?」
という感じで、自分が知らないものは世の中に存在しない・・・という風に拒否反応を示したのだ。
当時は、新規会社でイケイケどんどん、という気風が漲り、自分たちは時代の寵児だ・・・と思い込んでいた・・・ということだ。
その発言のあと、周りがどんよりとした雰囲気に包まれそうになったが、いち早くその場をとりなした女性社員がいて、とりあえず立松さんで行く案が採択された。
で、当日。
会社からは新幹線の往復分の旅費を頂いたが、実際には東武線で行ったことは、もう時効なのでゲロする。
開業セレモニーが始まり、記念通話で件の立松さんとの通話がPAで流れた。
さすが、場を良く読んだ話題を取り上げた素晴らしいお話であったことを覚えている。
その立松和平さんがお亡くなりになってから5年を超えた。