セルデンの中国地図

―消えた古地図400年の謎を解く-
著:ティモシー・ブルック
訳:藤井 美佐子
太田出版(2015/04発売)
ISBN: 9784778314392
古地図・蘊蓄派には好適の書。
グーグルマップでかの国の公開地図と衛星写真を比較すると分かるように、建前と本音の乖離が大きい。
著者は、1976年ヴェトナムに出国した際に、当時の国内掛地図を見とがめられて没収されている経験がある。
表題の地図は、日本からインドネシアに亘る東アジアの海路を主眼においた、作者不明の手書き地図である。
現在収蔵されているボドリアン図書館のサイト
http://seldenmap.bodleian.ox.ac.uk/
において、本書内印刷物よりも遥かに詳細に拡大閲覧が可能である。
ヴァルトゼーミューラーが"コロンヴィア"ではなく、「アメリカ」と新大陸を表記したように、かつて「地図」は、製作者の意図を色濃く反映するものであった。
セルデンがかつて収蔵した本地図は、どのような時代背景で、どのような人物が関わっていたかを、著者は紹介している。
p78・・・創世記:紀元前4004年10月23日午前9時を唱えたジェイムズ・アッシャー
p267・・・ウィリアム・ダンピア:新世界周航記の著者
p79・・・探検家サー・ウォルター・ローリー
特に上記の人物は、
http://www.y-history.net/appendix/wh0904-070.html
において、
ウォルター=ローリーはエピソードの多い人物である。彼がエリザベス女王の寵愛を受けるきっかけとなったのは、テムズ川下流グリニッジの宮殿の近くに行幸したとき、ちょうど雨上がりで道がぬかるみ、女王が立ち止まったのを見て、ローリーが着ていたビロードのマントを水の上にさっとひろげて汚れずにわたれたので、女王がその機転を喜んだことだったという。その時サー=ウォルター=ローリーが「さあ渡られい」(Sir Walter Raleigh)と言った、とうのは東大教授今井登志喜のジョーク。
という逸話が紹介されている。
ザ・ビートルズの映画、「A Hard Day's Night」中、リンゴ・スターが一人ドロップアウトした際、羽織たコートを女性のためにぬかるみに広げる描写のバックグラウンドは、このエピソードに準拠していると思われる・・・本当かどうか一度英国人に聞いてみたいものだ。
閑話休題
セルデン地図の右上に日本があり、奇想天外な地名が記載されている。(p181-2)
(下写真は、ボドリアン図書館のサイトから引用)

地図記載名:日本名
兵庫:兵庫
亜里馬王:有馬家が治めていたころの日向の国
殺身湾子:鹿児島湾
殺子馬:薩摩
筬仔沙机:長崎
魚麟島:平戸
クイズ番組にでも取り上げたら面白かろう。