有線放送電話放送所


「有線放送電話」自体の概略は、ウィキペディアに譲る。
実家ローカルの思い出である。
昭和40年代だったか。
市町村単位で閉じた地域内で無料で電話ができる・・・という話が農協からきたようだ。
電電公社加入電話回線が申込みに追いついていなかった頃だが、既に、周辺地域では公社回線はかなり開通していて、なにを今更と、子供心に思ったが、農協肝いり事業とかで、工事がなされた。
物理回線は3線式で、スピーカ内蔵の一回り大きな600型電話機相似のが設置された。
朝夕に、なにやらアナログっぽいひょろひょろした音楽が流れ出して、S/N比が良くない農村の話題の放送があった(ようだ)
というのは、既に公社回線を主に使用していたので、設置されても電話したことは数回しかなく、トレンド的には、オワコン扱いだったから音量は最少にしていたからだ。
音量が最小にされてしまう・・・という危惧は、事業者も保持していたようで、最少にしてもなにやら蚊の泣くようなボリュウムで流れていた。
しかも、放送中は電話使用禁止、ということでも使い勝手が良くなかった。
近所に、放送所(?)が設置されていたことこから、何かの拍子に、中に入ったことがあった。
操作者兼送話者は、(その頃の当人からは)年上の女性だった。(その頃の当人は)お話しするのも恥ずかしい時代で、会話は長続きしなかった。
何故それが導入されたのかは、補助金とか、よそ様と同じものが欲しいという次元の低い魂胆があったのではないか・・・と長じた後に気付いた。