遺言未満、

著:椎名 誠
集英社(2020年12月)
ISBN:9784087816938
巻頭に、日高敏隆の著作中の言葉
人間は自分がいつか死ぬ、ということを知っているが、その他の生物はそのことを知らない(p8)
が紹介される。
著者は、2013年に「ぼくがいま、死について思うこと」という書籍を著している。
著者の身近な人物が亡くなったことを機に刊行したものだ。
世界各地を旅行した経験から葬儀・葬送のそれぞれの習慣を紹介し、日本での扱い並びに今後の著者自身の意向についてを記している。
著者は、世界の人々が暮らす(熱帯から厳寒までの)環境に沿った遺体処理が為され、遺骨の扱いも土地による制限のため各種の手法が執られていると述べる。

それだけ経験があれば、著者なりの死に対する人間の普遍的なありかたの考え方を提示して欲しかった。
墓石の下の骨箱に遺骨を納めるのは、日本の埋葬の基本であり、カロウト式と呼ばれる。
日本に住んでいる限り、それが普通だと思い込んでいる。
実際に骨壺に入るのはホネの極一部で、後はどこかの埋立地に放棄されているのが実情である。
骨壺内のホネにどれほどの意味があるのか?
自分が死んだらどうなるのか?という疑問に宗教は応えてきた。そのために死後の世界を創造した。
各宗教で言うことが違い、普遍的なものは無く、実は死後の世界は無い(ようだ)。
宗教が生きながらえているのは、出生後の環境に依るものである。
人間、誰しも死が怖い。死んだあとのように弔ってくれるのか・・・という思いの半面が“祖先を敬る”という行事に表れている。
自己亡き後、子孫が大切にしてくれるためには、(取り敢えず)宗教行事で刷り込みをしておけば、無駄になることはないだろう・・・という考え方。
これは、全人類共通の考え方:普遍的ではない・・・処迄切り込んで欲しかった。