オピニオン

カタカナのそれを訳すと、意見・見解・世論になる。
今回の一方的他国侵略で、各種の報道がなされている。
もちろん、その内容の基礎になっているのは、当該国の政治体制である。
同じ出来事でもその映像がニュースになって(一種の)記号化が為されるときに人間の判断が介入して、放送され、それによって当該国内の一般世論が形成される。
大多数の人間に対する入力の結果、出力として「世論」が形作られていく。
普通の人は、できるだけ考えるような面倒臭いことはしたくない。判断を迫られることよりも、自尊心をくすぐられる心地よい英雄譚で自我が満たされることを希求する。

ネットでも自説をあたかも世論の如く吹聴する人々がいる。
その言の拠り所は、何処なのか・・・
現在の惨状に至るまでには、歴史的地政学的人為的な判断・行為があった。
人気があるといわれるお笑い芸人が述べた言葉がネットでは、金科玉条の如く流布している。
彼らはそれらを快不快の表層的な気分で十分斟酌せずに垂れ流し、これまたそれらを見た一般人が自分の気分に沿うと思うと拡大拡散していってしまう。

声の大きいものが正論ではなく、普遍性をもつ内容が歴史の判断に耐えられるのである。