白から黄色へ

-ヨーロッパ人の人種思想から見た「日本人」の発見 1300年~1735年-
著:ロテム・コーネル
訳:滝川 義人
明石書店(2022年1月)
ISBN:9784750352947
本書は、人種と人種主義の起源と出所に関し、新規ではないにしても補足的に、全体像を提示しようとするものである。p404

ヨーロッパから見て極東に位置する日本は、大航海時代までその存在は知られていなかった。
マルコ・ポーロで「黄金の国」と描写されても外見を知る人は無かった。
1549年にザビエルの来日以降、欧州に知られることになった。
当時宣教師は、日本人の外観について記していない。彼らの興味は布教のみにあったから。
種子島に漂着したポルトガル人は、対応した日本人を「色白の男たち」と記述した p100
人間の語彙は、その人間の世界観によって形成される p240
然らば、“黄色人種”という言葉及びそれに付随する概念は、如何にして醸し出されてきたのか・・・

世界には多種の外観を持つ人々がいることに気づいたヨーロッパ人は、人類分類を始める。
その中のフランソワ・ベルニエは類型化のために人種:raceという用語を選んだ。p344
彼は、インド東部の住民に対して、肌色の相違に注目し黄色と表現した。p346
しかし、それは即定着しなかったが、人種という近代概念がつくり上げられる、長い展開過程の1ステップであった。p353

リンネが分類学を確立するの従い、18世紀末その分類法がヨーロッパ人が他者を考察するやり方を変え、更に、日本人の人種上の地位に重大なはね返りを与えるのである。p356
それ以降、固定観念として黄色人:二流人、という誤った認識が広まった・・・と作者は考察する。

オランダ人カスパー・シャムベルガーが、痛風に悩んでいた中老稲葉正則を治療した話(p329)は、ウィキペディアにも掲載されていない。

スペインとポルトガルの植民地圏を規定したトルデシリャス条約の締結(1949年)に伴い、日本はポルトガル圏に入った。p117
とあるが、実際に日本が関わっているのは、1529年の「サラゴサ条約」の方である。