余は如何にしてこの生業となりしか

物心ついたとき、電話は近辺には存在していなかった。
隣の雑貨商・大黒屋に電話が入ったと聞いて見に行ったら、奥の方に巨大な電池とともに磁石式電話機が鎮座していた。
磁石式電話機というのは、送受器をオンフックのまま電話機本体にあるハンドルをぐるぐる回して、電電公社の交換手を呼び出し、通話をしたい相手の電話番号を伝えた後、一度切り待機、(交換手が先方を呼び出したら)再度呼び返しがあるので、そこで初めて電話機相互間で通話が成立する、という仕組みのものである。
おそらく祖父が亡くなった時だったのだろう、母が勤めていた農協で、母が磁石式電話を借りて、机のそばにしゃがみこんでどこかに電話をしていたことがあったのを、覚えている。
それからしばらく経った昭和30年代初頭であろうか、その農協が近隣の組織と合併し、国道2号線沿いに新社屋を建てたので、母が日曜日当番日直の日に、職場に遊びに行った。
そこに、ダイヤル式黒電話機があった。
試しに電話を隣の電話機同士(一緒にいた姉に、)かけてみた。
あたりまえだが、話ができる。黒電話機から伸びたコードがどこか見えないところにある交換機に接続され、そこからまたコード経由黒電話に入り電話できる、その技術の不思議さ、。
その回転ダイヤルをぐるぐる回すと、その組み合わせにより、世界中どこにでも即時に通話ができるのだという、その可能性の素晴らしさ。
そのときの黒電話機からの反射光は、きらきらと黄金色に輝いて見えた、ように覚えている。
今生業(なりわい)として、これに近い場所で働いているのも。それの余波が続いているのかも、しれない。