船がゆく

キャプテン・クック支配の航跡-
著:多木 浩二
出版:新書館
ISBN:4-403-12004-0
発行年月:1998年12月
英国は、自らを変革した産業革命と軌を一にして、海外植民地を利用して、大量生産・消費の先鞭をつけた。
植民地を確保するためには、他国に先んじて領土確保を宣言する必要がある。
丁度タイミングよい1766年、王立協会はクックを金星の日面通過の観測を目的に南太平洋へ派遣することを決定した。
外面は科学振興理由だが、実際には南方大陸「テラ・アウストラリス・インコグニタ」を探索する使命を帯びていた。
もちろん、知られていない島々を発見した場合は、所有権を主張することも当然として仕事の範疇にあった。
実際、西欧には「知られていなくても」ポリネシアには、既に人類が進出していた。
鉄を携えて行った探検隊は、それを知らなかった人々に対し断然の優位性を持っていた。
現在知られている現生人類の出アフリカ記は全く念頭に無かった西欧人は、現地の人々を見て「文明の影響を受けていない」と判断した。
いわゆる文明はなかったかも知れないが、そこに「文化」は存在していたのだ。
ファーストコンタクト時の判断は、その時代の考え方の範疇から逸脱できず、表層なものに留まっている。
p162、銃で撃たれた現地の人間が「haere mae」と叫んだ、とある。
現在、ハイレ・マイは、マオリ語で「ようこそ」の意であることは周知であるので、何らかの誤訳であったのであろう。