昨日までの世界

−文明の源流と人類の未来-
著:ジャレド・ダイアモンド
訳:倉骨 彰
日本経済新聞出版社(2013/02発売)
ISBN 9784532168605/9784152091659
600万年におよぶ人類の進化の歴史のなかで、国家が成立し、文字が出現したのはわずか5400年前のことであり、狩猟採集社会が農耕社会に移行したのもわずか1万1000年前のことである。(カバー見返し)
今日(現代)に対する昨日(文明前夜)の方が圧倒的な長さであるが、我々はそのことを忘れ去っている。
著者は、伝統的社会を垣間見ることのできるニューギニアの未開地研究を通して、現代社会に過去の伝統的社会の(忘れられた)ノウハウを活かせる点があるのではないかと提案する。
とは言っても、著者は過去をいたずらに称揚はしない。
係争解決においては、復讐合戦になりがちな伝統的敵社会と現代国家の裁判制度の特性をそれぞれ分析する。
伝統的社会は、当事者同士が顔見知りであることが多いが、現代社会は「なんの関係も持たない関係」が圧倒的になっている。
関係が希薄な場合、法廷闘争に持ち込まれることが多い。著者は、(さすが米国)三度民事訴訟を経験している(上巻p151)
関係が濃密な場合は、人間的な付き合いを考慮した対応がなされる。
現代の司法の場面では、加害者と被害者はそれぞれ隔離された状態で裁判手続きが進行する。
国家としては再犯防止の観点からものごとを進めることが多いが、当事者同士の感情を一種ないがしろにするような制度であり、近年報道等で取り上げられることが多くなっている。
伝統的社会と現代社会が違うことで、取り上げたいのが「高齢者への対応」である。
高齢者は社会的に孤立することが多い理由として、技術革新の進歩のスピードが挙げられている。
あるヒトが子どものころに習得した技術は、その人が七十歳になっても同じであり、その結果、その人の技術スキルは高齢者になっても価値の高いものであり得た。ところがいまは、技術革新のペースが速く、最新の技術でさえも数年で時代遅れになってしまうほどである。(上巻p399)
そのような事象が発現していることにおいて、全く同感である。
著者は、真空管ラジオの組み立て、マニュアルシフト車の運転ができるそうだが、時代遅れの無用の長物なのである(上巻p400)と嘆く。
しかし、個人的には、それぞれ趣味の領域のスキル及びスポーツカー運転のスキルとしては得がたいものであるので、卑下することもないと思う。